ありまのちから

万葉のいにしえから古今東⻄、幾多の著名人に愛された有馬温泉。 今なお、日本三名泉として多くのお客様を惹きつけて止まない有馬温泉の魅力とは? 稀有のパワースポットである「有馬温泉」をよりお楽しみ頂けるよう、 有馬の魅力を再発見していただける「ありまの3つのちから」についてご紹介いたします。

  • “おゆ”のちから

     
  • “もり”のちから

     
  • “れきし”のちから

     

“おゆ”のちから

有馬は、日本最古の温泉です。 最古、すなわち人間がまだ土を掘る技術を持たない時代より大地の恵みを蓄え湧き出ていた 自然の温泉であるということです。

当館では技術が発達した現在でも、浅い場所(300mまで)からの採湯とし、自然の恵み(温泉の有効成分)を十分に蓄えたお湯をご提供しております

有馬温泉のしくみ

地球の表面は固いプレート(岩石の層)で覆われ、7つの大きなプレートといくつかの小さなプレートに分かれています。日本列 島は4枚ものプレートの衝突部にある為巨大地震が起きやすく、また世界有数の火山列島となっています。 火山の種類は三種類ありますが、日本列島は島弧とよばれる火山のタイプに当てはまります。 東北地方は特に火山も多く、太平洋側から北上山地、奥羽山脈、越後山脈と3種類の火山が並んでいます。ところが近畿地方に火山はありません。紀伊半島の南側でフィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込んでいるのに、どうして近畿地方に火山がないのでしょうか?沈み込んだプレートが60kmの深さの所で、先の方がありません。110kmに達していないのでマグマは出来ません。これは地震の種類と震源でちぎれていると推定されます。その60kmの直上の地点がちょうど有馬温泉。白浜の温泉は有馬の温泉と同じような温泉ですが、深さが30km。陸のプレートの厚みが25kmというので白浜の温泉はその境から湧出するのに対して、有馬の温泉はもう30km深い。つまり上部マントルの成分を含んでいる量の違いが、有馬と白浜の温泉の違いという事になります。断層内で起こる地震の観察結果、断層は深くて14km。陸のプレートの厚みは30kmだから、断層の下の陸のプレート16kmは、一つの岩盤の塊になっている。シチューやカレーを煮込んでいる時、なべ底から気泡があがってくるように、上部マントルから陸のプレートの岩盤を貫く火成岩の岩脈が他の岩盤よりも密度が低く、この部分がトンネルのように有馬の町下にある断層まで繋がっていると考えられています。 60km下の上部マントルは高温と高圧力の世界。有馬の温泉は特殊な物質を溶かし、液体と気体の両方性質を持つ超臨界水の状態になって上昇し、この岩脈の周辺を一気に地表まで到達すると考えられています。このトンネルが有馬の中心部に存在しているのです。そのトンネル部分につながる断層から世界的に珍しい温泉がわき出ています。この温泉を「有馬型温泉」といいます。

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“もり”のちから

皆さんは、森林浴がストレスホルモンを減少させ、 人の免疫能力を高めるちからを持っているのをご存知でしょうか。

森林浴と温泉保養、
進化する太閤の湯!

太閤の湯では、健康増進の為に温泉保養に加えて、恵まれた六甲山の自然をたっぷりと活用できるプログラムをご用意!

温泉 + 園内遊歩道森林浴 + 森林ヨガ

森林の持つ癒しや安らぎ成分をたっぷりと浴びて、心も身体もリフレッシュしましょう!

健康増進に向けての取り組み

2017年3月

温泉利用プログラム型
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⺠間日帰り温浴施設としての
厚生労働省認定は日本初

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日本温泉保養士協会と連携 森林ヨガについては適所・動作について指導・監修

有馬の湯のちからと森林のちからで免疫力UP! どうぞごゆるりとご堪能あれ

“れきし”のちから

有馬概算年表

  • 神話時代
    大己貴命、少名彦命の二神が鳥の入湯するのを見て 有馬温泉を発見をしたと伝えられる。
  • 飛鳥時代
    631年(舒明三年)舒明天皇が有馬に入湯。 647年(大化三年)孝徳天皇が有馬に入湯。
  • 奈良時代
    724年(神亀元年)行基上人が有馬温泉を再興し、 温泉寺などの寺院を建立。
  • 平安時代
    平安時代初期、多くの人が有馬に入湯し、にぎわう。 1097年(承徳元年)大洪水のため、有馬温泉が荒廃。 1191年(建久二年)吉野山の僧、仁西上人が有馬温泉を再興。 薬師如来を守護する十二神将にちなんで「十二坊」をつくる。
  • 鎌倉時代
    1203年(建仁三年)藤原定家が有馬に来訪。 以後十二回にわたり入湯。
  • 室町時代
    1385年(至徳二年)足利義満が有馬に入湯。 1461年(寛正二年)足利義政が阿弥陀堂を歓進して、再興。 13〜16世紀にかけて貴族や各地の豪族など多くの人が有馬を訪れ、にぎわった。 1564年(永禄七年)足利義輝も有馬に入湯。
  • 安土桃山
    時代
    1575年(慶長十年)大火で寺や民家で焼き付くされ、有馬は荒廃。 秀吉が有馬温泉再興のために手厚い保護と援助を行う。 1583〜94年の十一年間に北政所をともない、九回も入湯。 1594年秀吉が有馬に別荘を建てる。 1594年(文禄三年)秀吉が有馬に別荘を建てるが、 1596年(慶長元年)7月12日、近畿大地震が発生し、別荘も大破。 秀吉は地震で損壊した有馬温泉を2年近くかけて、再興。 1598年(慶長三年)新しく湧き出た温泉に秀吉が御殿を建てさせるが、 8月18日、秀吉死去。
  • 江戸時代
    1605年(慶長十年)念仏寺が谷之町より秀吉の御殿跡である現在地に移る。 1617年(元和三年)「有馬名所図会」に旅館40軒と記されている。 1621年(元和七年)幕府の儒学者、林羅山が入湯し、「有馬湯湯記」を著す。 1695年(元禄八年)から1773年(安永二年)度重なる洪水と大火により、有馬の街は荒廃する。1770年(明和七年)松岡雄淵が「有馬六景」を選ぶ。 1805年(文化二年)地理学者、伊能忠敬が有馬に入湯。
  • 明治以降
    1868年(明治元年)県より男女混浴禁止令(有馬特例で明治25年から)。 福沢諭吉が有馬に滞在。 1874年(明治七年)大阪〜神戸間に鉄道が開通。 住吉駅から六甲越えをして有馬に行けるようになる。 1875年(明治八年)毒水と恐れられていた炭酸水の薬効が立証される。 井上馨、山形有朋、後藤象二郎、他名士多数が有馬に入湯。 サイダー製造会社が有馬に設立される。 1928年(昭和三年)神戸電鉄湊川〜有馬間が開通。 1932年(昭和七年)六甲ケーブルカーが開通。 1947年(昭和二十二年)3月1日、神戸市と合併し神戸市兵庫区有馬町となる。

歴史探訪「太閤の湯」で有馬の歴史を感じる!

有馬は古くから多くの著名人に愛された、癒しの湯処名所。 太閤秀吉はもちろんですが、その参謀で名軍師と名を馳せた黑田官兵衛(黑田孝高)を癒したのゆかりの地としても有名です。 太閤の湯では、官兵衛を救った有馬温泉を当時の建築様式で再現し、安土桃山時代へタイムスリップ。 官兵衛救いの湯“金泉”を露天風呂「太閤の岩風呂」や大浴場「⻩金蒸風呂」などでたっぷり満喫いただけます。 さらに官兵衛を蘇らせた森林浴を、園内に整備された約3千m²遊歩道「官兵衛古道」でご体験頂けます。 太閤秀吉との出逢いや有馬温泉との関わりを通して、「官兵衛」の生涯を俯瞰できる古道・幽閉された土牢も再現。 有馬を訪れたお客様に、遠く戦国の世で湯治した英傑の人生に想いを馳せていただけます。

 
官兵衛古道
 
 
ねねハーブの小径
 
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